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塩屋(しおや)は、日本海軍の給油艦。軽質油運搬艦である足摺型給油艦の2番艦。艦名は福島県小名浜港の北東にある塩屋埼による〔#片桐p.584〕。 == 艦歴 == 仮称艦名「第220号艦」〔#海軍軍戦備(1)p.809。〕。1941年(昭和16年)度マル臨計画2次計画により三菱重工業長崎造船所で建造され、1943年(昭和18年)11月9日に竣工〔。佐世保鎮守府籍となり、同日に連合艦隊付属となる〔#佐鎮1811p.44〕。塩屋の竣工後の行動は断片的にしか判明していないが、1944年(昭和19年)1月6日に、特務艦足摺、特設運送船(給油)興川丸(川崎汽船、10,043トン)とともに臨時M船団〔#PB36 1901p.9〕を編成し、第36号哨戒艇の護衛を得て高雄を出港〔#PB36 1901p.3〕。マニラまではヒ29船団と同行し〔、1月9日にマニラに到着後分離してタラカン島経由、1月15日にバリクパパンに到着する〔。以後、バリクパパンとダバオ間の軽質油輸送などに従事。5月はほとんどの期間を第30号掃海艇とともに行動する〔#MS30 1905p.2〕。5月4日、塩屋はバリクパパンを出港し〔、5月6日にダバオに到着した〔#MS30 1905p.3〕。補給の後5月9日にダバオを後にして、サンボアンガを経由し5月11日にセブに到着〔#MS30 1905p.4〕。5月14日にセブを出港してバリクパパンに向かうが、5月15日午後には潜水艦を発見し、これと交戦しようとした第30号掃海艇に対して攻撃制止の令を出してバリクパパンに急ぎ、5月16日に到着した〔#MS30 1905p.5〕。5月23日に第30号掃海艇の護衛で再びダバオへ向けて出港するが、翌5月24日に潜水艦の攻撃を受ける〔#MS30 1905pp.7-8〕。第30号掃海艇および哨戒機とともに爆雷を投下して潜水艦を制圧した後、5月25日にダバオに到着した〔#MS30 1905p.8,15〕。 6月7日、塩屋はバリクパパンを出港するが、翌6月8日午後、のセレベス海マナド北西方で、アメリカの潜水艦ラッシャー(''USS Rasher, SS-269'') から発見された〔#SS-269, USS RASHER_Part1pp.258-259〕。ラッシャーは塩屋を浅間型練習艦、その護衛艦を天津風型駆逐艦(磯風型駆逐艦)〔#SS-269, USS RASHER_Part1p.258 の中で天津風型駆逐艦に付されている「ODD」は「Old Destroyer」を意味する()。〕と識別し、浅間型練習艦に対して魚雷を6本発射した〔。うち5本が命中したと判断され〔、塩屋はこのラッシャーの魚雷攻撃により沈没した。8月10日に除籍された〔#日本の軍艦13p.45〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「塩屋 (軽質油運搬艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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